専門医の医師の求人/募集/転職スペシャルインタビュー >吉田 憲史 氏 / 医療法人起生会 表参道吉田病院(熊本県) 総院長・ヨシダクリニック・東京 総院長

スペシャルインタビュー
吉田憲史

がん免疫細胞治療研究のスペシャリスト、臨床医、経営者など、何足ものわらじを履いて常に邁進

吉田 憲史 氏
医療法人起生会 表参道吉田病院(熊本県)総院長
ヨシダクリニック・東京 総院長

大学院時代の夢は免疫学者

九州大学医学部卒業後、私は故郷に帰り、熊本大学医学部附属病院でインターンをしました。その研修中に聞いた講演が素晴らしく、ぜひこの先生の元に入門したいとお願いに上がったのが、大学院指導教授、林秀男先生との出会いです。

教授のご専門は免疫学で、研究テーマは「免疫と慢性炎症(リウマチ、肺結核等)」でした。当時、炎症のメカニズムはわかっていませんでした。教授指導の下、白血球の増加や移動のメカニズムを解明
する研究を行い、炎症の場に白血球を引っ張る物質があることを発見しま
した。白血球の一連の現象を追っていくうちに、私の興味はがんの方に
移っていきました。

がんがなぜ転移するかわからなかった当時、がん細胞がアメーバー状に
動いて行って転移するメカニズム、がん細胞の遊走因子を世界で初めて
発見、科学誌「Nature」に発表しました。

第一線の研究者として認められ、林教授から後継者になってほしいという
お話まで頂き、研究室にずっと残るつもりでしたが、33歳の時、父が61歳
でがんで急逝したのです。私は医者でありながら、何もできず助けられま
せんでした。父も医者で地域密着の病院の2代目院長でしたので、長男の
私が病院を引き継がなければならなくなりました。

臨床医と研究者の両立で、がん免疫細胞治療のエキスパートに

私の研究を続けたいという気持ちを後押ししてくれたのは林教授でした。病院で働きつつ、研究室に研究費を納めて研究員を派遣し、研究を続けるということを認めて下さったのです。遅い時間に病院を抜け出しては研究員に指示を出し研究を進めさせるという生活で、専門学会に発表し、論文も書いて、研究を続けてきました。

がん転移のメカニズムがわかっても治療に直結しないとわかってからは、転移の原因となる遊走因子を止めるものを作らなければいけないと考えるようになりました。

本来、免疫細胞は異物を攻撃し排除しますが、自己の細胞ががん化したがん細胞には気づきにくく、あまり攻撃をしません。そこで、免疫細胞を培養、活性化する技術を導入しました。患者様の血液から、約500万~1000万個のリンパ球・NK(ナチュラルキラー)細胞を取り出し、特殊な培養液で2週間で10億~45億個まで増やし活性化します。それを再び体内に戻すと、転移がん抑制に非常に有効であるとわかり、「活性化自己リンパ球・NK細胞免疫治療」を始めました。自分の細胞を使っているので、副作用もなく、抗がん剤や放射線治療のような苦痛がありません。

がん免疫療法の普及活動

この成果は、日本、アジアのマスメディアにも広く取り上げられ、韓国、台湾からも多くの患者様が通院して来るようになりました。韓国の方は月平均20人ほどが通院されています。また、この治療の有効性と安全性を聞きつけた中国やロシアからも高い関心を示され、現地で講演会に招聘されることが増えました。

表参道吉田病院には大学の研究施設レベルの細胞培養センター(CPC)があり、専門スタッフが免疫細胞の増殖作業に当たっています。診断、採血、免疫細胞の増殖活性化、患者様への注入、その後のフォローアップまでの全行程を全て院内で完結させています。免疫細胞の増殖活性化の速度には個体差があり、毎日見比べることで、患者様の体に戻すベストタイミングを探ることができます。

1996年、関東圏からの患者様の要望に応える形で、ヨシダクリニック・東京を開設しました。縁故のない土地でしたので、医師の転職支援会社を利用して院長を探しました。沢山のドクターにお目にかかり、
自分の考え方に近い人に巡り合え、非常に良かったです。

現在は全国各地にがん免疫療法のサテライト医院を増やしたいと募集中
です。血液を採取して空輸で送って頂き、2週間後に増殖活性化したものを
点滴セットでお送りします。先進医療の分野で、まだ自由診療扱いとなり
ます。北海道、新潟、名古屋、東海地方、大阪あたりを考えています。
ご希望の先生はご連絡頂ければご説明致します。

熊本の本院は、創立100周年を記念して2003年に新築しました。現在、
病床126床、高齢化社会対応として、介護老人保健施設や居宅介護支援
事業所を併設し、グループホーム、包括支援センターも開設しました。
2011年には、(財)日本医療機能評価機構によるバージョン6.0の認定
病院となりました。

病院給食の改善、ライオンズクラブ国際協会 国際理事就任

1972年、病院を継いだ私は、熊本県医療法人協会の勉強会で給食改善委員会にいました。当時、「早い、まずい、冷たい」と評判の悪かった病院給食をなんとか改善しようと、1973年、有志の病院による出資で(株)九州フードサプライセンターを設立、幾つかの病院用の共同メニューを開発し、大量購入で材料を安く仕入れるようにしました。

また、職員が帰る前にと早く出していた4時半の夕食を、センターからパートを派遣して5時半、6時に変更しました。委員長だった私は社長を仰せつかり、現在まで続けています。1987年、厚生労働省が院外調理を認めると、多くの病院や施設からの依頼で病院給食業務受託も開始しました。

さらに、(社)日本メディカル給食協会(全国で約200社が加盟)の副会長として、病院給食の質の向上、受託給食の全国的な普及へ尽力したことで、2009年、厚生労働大臣から表彰されました。

人の喜ぶ顔を見るのが好きで、奉仕活動として、1996~98年には、世界的奉仕団体、ライオンズクラブ国際協会の日本代表として国際理事も務めました。

患者様目線での医療

吉田憲史

医療は対象が人ですから、自分自身の人間性の幅を広げ、相手の考え方を見抜く観察能力を高めることは非常に重要です。私はよく若い先生方に、あまり医者同士でつるんで付き合うなよと言います。診療連携は良いのですが、人間的に考え方が医療界の狭いものになってしまうからです。

異業種の沢山の方とできるだけ付き合う。そうすると、全く異なる考え方を持っている人が沢山いて、こういう世界もあったのかと目を開かされます。診療する患者様には色々な方がいるので、そういう体験は必ずフィードバックされ、説明が伝わりやすくなったり、信頼が得やすくなり、将来、非常に大きな財産になると思います。

(取材・文:うえだまゆ)
(2011年6月)


吉田 憲史 氏(医療法人起生会 表参道吉田病院(熊本県)総院長ヨシダクリニック・東京総院長

プロフィール

  • 1965年 九州大学医学部卒業
  • 1970年 熊本大学医学部大学院修了、医学博士
  • 1972年 吉田病院(現・表参道吉田病院)院長
  • 1983年 吉田病院 総院長
  • 1996年 ヨシダクリニック・東京 総院長(兼任)

日本内科学会認定医、日本医師会認定産業医、日本人間ドック学会認定医
日本癌学会、日本癌治療学会、日本癌転移学会、日本免疫学会の各会員。日本医学ジャーナリスト協会会員
著書:「強いリンパ球でがんを撃つ」(1998年 講談社)、「新しいがん治療への挑戦」(2006年 産経新聞出版)
公職兼職:熊本地方裁判所医療専門委員、熊本看護専門学校副理事長、
(社)日本メディカル給食協会副会長、㈱九州フードサプライセンター代表取締役社長、
くまもと中央カントリークラブ理事長、㈱熊本全日空ホテルニュースカイ取締役

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佐藤 理仁 氏/さとう埼玉リウマチクリニック院長

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小林 奈々 氏/医療法人めぐみ会 自由が丘メディカルプラザ副院長

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小川 奈津希 氏/ジェネラルクリニック院長

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久保田 明子 氏/アイクリニック自由が丘

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煎本 正博 氏/株式会社イリモトメディカル

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吉田 正史 氏/東埼玉総合病院 消化器内科科長・内視鏡室室長

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